頚椎症性神経根症の闘病記
*このページは筆者が実体験と見聞きしたことを記述しています。医学的な正確さを保証するページではないことをご承知置き下さい。

 ここでは、同様な病気の方の参考になればと、還暦を過ぎて受けた神経根症手術の顛末を、患者として書いています。

神経根症とは
 背骨(脊柱)は、「椎骨」が積み重なって出来ており、首の骨(頚椎)はそのうちの7個で構成される。
頚椎は環状で脊柱管を構成しており、その管の中に中枢神経の脊髄が通っている。その脊髄から枝分かれしている神経が「神経根」で、頚椎部からは手先まで伸びる神経が分かれる。
 頚椎症はここの椎間板が薄くなったり、椎間関節が変形し、脊髄を圧迫することにより起こる。
 脊髄が圧迫されると頚椎症性脊髄症、神経が圧迫されると「頚椎症性神経根症」となる。
 神経根が圧迫されると、首の痛みの他、圧迫されている神経根に沿った痛みや該当する指の痺れ等の症状が出易い。 なお、脊髄が圧迫されると、手足の痺れや痛み、手指の細かい動作が出来なくなり、進行すると、歩行障害やさらには排尿障害が現れる。
 頚椎の障害の多くは、加齢によるもので、頚椎での脊髄や神経根の圧迫は、65歳以上の人の約四分の一で見られるという。長期間放置すると、血流不足により神経が壊死してしまい、元に戻らなくなる。
症状の経緯
事の始まり?
振り返ると、下記痛みの一年位前から、首を左後ろに曲げると左手指先まで痺れる様な感触はあった。
2009.3.22(日)
左肩甲骨周辺に強い痛みを覚える。「60肩?」(62才)かな、と思う。
2009.3.23(月)
痛みは続く、左肩甲骨周辺の痛みの他、左小指、薬指、中指にも痺れ。また、十分に伸ばせない。(写真b1)
2009.3.24(火)
左肩甲骨周辺の痛みは、浴槽に浸かると和らぐことに気づく。暖まるのが良い様だ。
2009.3.26(木)
左肩甲骨周辺の痛みに絶えられず、遂に病院に駆け込む。レントゲン写真で頚椎変形が認められ、症状等から、 「メチコバール」(ビタミンB12補給)、 「ユベラN」(降コレステロール薬)、痛め止め、胃腸薬を処方される。
以前より、胃腸薬「パリエット錠」 「ムコスタ錠」 「リポバス錠」等を服用していたので痛め止めは飲まず。
2009.3.31(火)
頚部のMRI写真を撮る。撮影時間10数分、撮影の騒音のため耳栓をする。縦切り輪切り断面写真21枚。
2009.4.21(火)
薬物による保存療法で効果が見られないため、当該症状の手術の出来る病院を紹介される。
2009.4.27(月)
入院病院の診断を受ける。紹介状、レントゲン写真、打診等から判断して、頚部後方からの頚椎除去による神経根域確保の手術が必要とのこと。暫く判断(覚悟を決める)時間を貰った後、覚悟して手術を予約する。
入院 5/26、手術 5/27で予約。予約したので、血液検査や尿検査等をして帰宅。結局 3.5時間も掛かった。 暫く普段通りの生活に戻る。肩甲骨周辺の痛みや指の痺れや麻痺は続く。
2009.5.25(月)
入院前日。3週間の入院とのことで仕事の整理、メールの転送設定等、それらなりの整理に忙しい。
汝は病人也や? 否、老人也!
入院経過
2009.5.26(火)
 (入院当日)
AM 9:00より入院手続きを行う。T字帯や板オムツ、水のいらないシャンプーなど買い求めて、病室へ。
62才で入院初体験。家族が入院するのと自分が入院するのとでは、いささか勝手が違う。同行する入院経験者の妻が頼り。
看護婦さん、麻酔担当、執刀担当の医師等から夫々の担当分野に関する情報を聞く。病名は「頚椎症性神経根症、筋萎縮症」と呼ぶのだそうだ。 手術には麻酔医をはじめ、黒子になってサポートしてくれる多数の人がいる。彼らに今更ながら感謝!!
手術予約時は午前のつもりだったが、全身麻酔で明日 13:30吸引開始とのこと。いずれにしても緊急を要しない手術なのだから気楽に行こう。 手術の実質時間は 1.5時間、前後の麻酔処理を入れて、3時間位の手術とのこと。麻酔中、咽には管を入れて呼吸を保つとのこと。
執刀担当医から、左背後から、第6、7頚椎を削る手術になると、「手術承諾書」に、図入りで説明を書いてくれた、所詮細かいところは「馬の耳に念仏」だが、インターネットで調べた 一般的な「頚椎椎弓形成術」よりは軽い手術になったようなので、安心 。もちろん事前に頂いていた「頚椎椎弓形成術の入院計画書」に記載の首周りの装具も不要とのこと。もっとも向こうは元々その積もりの計画だったのでは? とも思う。
手術準備として、頚部の院内MRI写真を撮る。首上部の髪を剃り、シャワーで体を洗う。普通の夕食を摂って準備完了。24:00以降明後日の朝迄は絶飲食。ただし、飲水は 6:00迄、管理状態で可能とのこと。
2009.5.27(水)
 (手術当日)
愈々手術当日。今日は一日中飲まず食わずだ。飲まず食わずで一日持つか心配、と思っていたら、7:00に浣腸もするという!! 昨日の夕方、大もしているのにと思ったが、同じくらい出て来た。
8:00に手術着に着替え。8:30になったら、点滴を入れにくる。
12:00前に妻と義姉が来る。13:20ナースに付添われて歩いて手術室へ。麻酔の医師がお出迎え。ベッドに寝かされると、間も無く麻酔が効いてきて意識は無くなる。
朦朧としながらも意識が戻ったのは、18:30過ぎ、回復室において。それをみて妻と義姉は帰ったようだ。
これで今日の一日が終わりかと思うと大間違い、うとうとしては目覚め、まだ暗いのでまたうとうととの繰り返し、また背中の傷の辺りにビー玉を置かれたようでかなり苦痛。とても長くて辛い一夜となる。
2009.5.28(木)
長くて辛い夜もやがては明ける。朝になってから体を拭いてもらい、パジャマに着替える。もちろん点滴と尿管は入ったまま。そちらの辛さは変わらない。
第6、7頚椎による神経根圧迫による小指、薬指、中指の痺れや痛みはほぼ取れた模様で、左肩甲骨周辺の痛みは無い。ただし、指の動きの悪さは残ったまま。また新らたに親指、人差し指に痺れが発生する。痺れているが動くので、運動機能低下は感じない。
朝食は普通食!! 昨日の分も食べる勢いで頂く。ちょっと不安もあったがとりあえず完食。
普通食で驚いていたら、次はリハビリをするとのこと。ストレッチャーに乗ってリハビリ室に向かう。起立訓練と称し起き上がりの確認。血圧計で確認しながら起立。立ち上がると確かに血圧が下がる。立てる自信があったが立上がると多少ふらつく。麻酔の残りなのか? 取り敢えず起立歩行可の許可も出る。また明日からは手指のリハビリも行うとのこと。
横になると眠くなるような一日ではあった。体温は若干高め。
2009.5.29(金)
リハビリ室には歩行器で行く。階段歩行などをした結果、自由歩行の許可が出る。首の傷口はテープ等で自由にはならないが、一歩前進。
点滴、尿管、傷口の排血用の全ての管を取ってもらう。代わりに抗生物質の錠剤を服用。やはり管や針が体に入っている状態からの開放は快適。パソコンを持ち込み、暇時間対策を実行する。
2009.5.30(土)
妹と甥が見舞いに来た。土日はリハビリも無いので退屈凌ぎには最適。
あとは、本を読んだり、このページを書いたりして、退屈凌ぎをする。首が自由には曲げられないので体にはきつい。休み休みやることとする。
2009.6.1(月)
術後初めて、シャワー利用の許可が出る。事前に傷口周りに防水用にテープを張ってもらう。6日ぶりに髪を水洗したので、すっきりした。水無しシャンプーで洗っていたが、この爽快感は水洗いには叶わない。
14:00-15:00の間リハビリ、リハビリ室には歩いて行く。脊髄及び手指の改善訓練をする。
2009.6.2(火)
抗生物質の服用が終了。 14:00-15:00の間、昨日と同様、脊髄及び手指のリハビリ訓練をする。
訓練後、頚椎のレントゲン写真を撮る。それを医師が病室に持ってきて説明してくれる。
2009.6.3(水)
手術後一週間が経過。起床間も無く、血液検査の採血を行う。
14:00-15:00 リハビリ。脊髄及び手指の訓練をする。 16:30-17:00 術後二度目のシャワーを浴びる。
2009.6.6(土)
愈々、退院の日を迎える。手指の動きはまだまだだが、傷口も落ち着いて来たので朝10:00に退院する。
当初、2-3週間と言われていたので、多少早めの退院となった。病人にとっては有難い事ではある。 16:30 自宅に着く。住めば都の我が家である。
手術について
 手術は、第6,7頚椎を削り、左手の小指、薬指、中指の痺れ及び麻痺の原因領域に付加的空間を隙間を作り、神経根を圧迫から解放するもので、約1.5時間。 前後の麻酔処置を含め約3時間のことであったが、実際に麻酔から覚めて、意識が戻るまでには、約5時間掛かった。ただし、当人は医師任せなので手術中は霧の中の空白状態。
 昔の母の入院などと比較すると、「承諾書」や「同意書」をやたらと書かされる気がする、これも木を見て山を見ず的な、やたらと細かい事をぐちゅぐちゅ言う社会風潮の現われなのかと思ってしまう。
医療について
 上でも書いたが、「承諾書」や「同意書」が昔と比べやたらに多いと思う。そんな書類は所詮紙ぺらに過ぎないから、形だけ整えても手間が増えるだけで、根本的な改善にはならないのでないかと思う。情報の公開などの環境を整備することがより重要だと思うのだが。
医療では、病人の状況を的確に把握し、的確な処置をタイムリーに施すことが出来る能力が、医師には、要求されているのではないか。もちろん、医師と言えども神様でないのだから、その能力を超えた事は出来ない筈だ。図らずも、能力の無い医師に当たった時は、病気に罹ったと同様「運の良し悪し」だと思うが、情報の連携などでその「運」を引き上げる施策が欲しいのだと思う。
 医療費の問題が政治の世界で騒がしい。議論する人の多くの「関係者や知識人」が、出て来た収支報告書のみで議論しているように思われる。彼らは、深刻な経営環境に陥っても、対応する術を実行出来ないGMの経営と同じ穴のむじななのか。
私達のような老人が増え、労働人口が減少する状況で、医療サービスを確保するには、効率のよい技術の利用や情報の共有化などで、持てる資源を最大限利用しなければならないのに、相変わらず小学生の算数レベルで収支書の議論や、既得権者や支持者の当面の利益のみに対してバラマキ等をする低次元の方策が横行している様に思われる。
具体的な介護等まだまだ機械に置換えられない部分はともかく、医療技術の専門分化が進むことを考えれば、カルテ全部とは言わないまでも、当人の病歴や体調検査データを電子化する等して置いて、本人罹病時に利用出来る等し、治療の総合効率の高まる施策を講じることが出来ないのかと思ってしまう。掛かりつけ医院制度もその一部として取入れるなら良いのかもしれないが、現在の動きは既得権確保の動きが強く臭う。
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